じゅて~む エッセイ編 第十二夜
【あらすじ】
N県新潟市やN県長野市でコント活動をする集団の、コント台本を担当している江尻晴子が、架空の男性・達太としてエッセイ連載にチャレンジ。
タイトルの「じゅて~む」は愛しているという意味だが、架空の男性・達太が主人公の小説「じゅて~む」からの引用でもある。
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まずは自己紹介から。
俺の名は達太。39歳会社員。
早食いは得意。忙しい男の中には、早食いが得意な奴も多いと思うが、俺はその中でも上位だと思う。
働き盛りなんだろう。俺も。皆も。男は。女も。いいことだ。
似ている有名人は、高木ブーと、音楽家バッハと、戦国武将だと徳川家康。
高木ブーは現在の俺によく似ている。
バッハは10年前の俺に似ている。肌が白くてむっちりしていた。俺にもそんな若い頃があった。
徳川家康は、40年後の俺だと思う。
まさかあんな着物を着たり、あんなヘアスタイルにはしないが。
自己紹介はここまで。
俺の話はおしまい。
ここからは俺の癖について。俺の癖は、なんでも主体的に捉えてしまうことだ。よろしく。
仕事では長所にも成り得るし、短所にも成り得る。
ところが、だ。
私生活。
例えば、俺はついさっきだって、
「高木ブーは現在の俺に似ている。」
「バッハは10年前の俺に似ている。」
「徳川家康は40年後の俺。」
と述べた。
本当は、俺の方が後に出現したのだから、俺が似ている側なのだ。
意味わかるか?
俺の言っている意味、わかるか?
だから私生活は大変だ。
例えば読書。
俺は一人称の小説を好む。
一人称の意味がわかるか?
わからないときは、ウィキペディスるといい。
便利だ。
俺はバラ園のベンチで小説を読んでいてわからない言葉があると、辞書が手元にないので、スマートホンで、ウェキペディすって解決する。
(余談をひとつ。若者が「ディする」などいっているのを耳にすると俺は感心する。不明点はウェキペディすって調べ、問題を後回しにしない、とても大事だ。そいつは良い仕事をするだろう。)
俺の話はここまでだ。
話を元に戻す。
一人称の小説を読んでいると、どうしても主体性のある俺は、俺を想像して読み進めてしまうのだ。
これにはまいった。
推理小説の場合は、まあいい。
俺は頭がキレる。トリックを暴くのも自然な流れだ。
しかし。時代小説を読んでいて、俺が切腹をしようとするときなど、まったく理解ができない。なんでこんなことで俺は切腹しようとしているんだ。大事な腹だ。俺はとても腹が大事だ。腹も俺を大事と思っているだろう。
だから困惑する。腹を俺は切らない。腹も安心していて欲しい。
恋愛小説も困惑する。
なぜ俺が2人の女の間で揺れ動くのか。
俺の外見より中身に惚れたのはわかるが・・・。
俺なら瞬時にどちらかの女を選ぶ。
これは世間様向けの答え。2人ともとフランクに恋愛を楽しむとするか。のめり込まなければ誰も傷つかなくて済むだろう。
今日は何だかロマンチックなエッセイだったように思う。
予定では、口の中の水分を全部持って行った麦茶の話もしようと思っていたが、色気のない話なので、このままロマンチックに〆たい。
じゅて~む!
次回もロマンチックだといいなあ!!
だろ?
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