じゅて~む エッセイ編 第25夜












【あらすじ】


N県新潟市やN県長野市でコント活動をする集団の、コント台本を担当している江尻晴子(39歳)が、架空の男性・達太としてエッセイ連載にチャレンジ。


タイトルの「じゅて~む」は愛しているという意味だが、架空の男性・達太が主人公の小説「じゅて~む」からの引用でもある。


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まずは自己紹介から。




私の名前は宮村達太。39歳。


月~金は、高木ブー似の会社員。


土日は音楽家バッハ似のエッセイスト。


異性と会うときは藤岡弘が30㎏の増量に成功した状態。




つまり日曜はエッセイストだ。


PCに向かい、エッセイを綴る。


しかしその時、目線を感じた。




振り返る。




誰もいない。




私は再び、エッセイを書こうとPCに向かう。


「下書きが先か、清書が先か。」


迷いながら。




そのとき


「達太・・・、達太・・・。」


私は呼ばれた気がして振り返る。




誰もいない。


そこにあるのは私の似顔絵のみ。


姪が書いたものだ。


私が麻婆を平らげている似顔絵。


9月の敬老の日に姪からプレゼントされた。


3~4名でシェアすべき中華料理屋の麻婆を、親戚連中で出掛けたあの日、私は一人で平らげてしまったんだ。


それが姪の脳裏に焼き付いたのか。


似顔絵が後日、敬老の日に届いた。




私に似た男を好きにならないといいが・・・。




「達太。達太。」


私はまた呼ばれた気がして振り返る。


しかし、誰もいない。


当然。私は一人暮らし。




怖くなってきた。エッセイを書くのを中断する。じっとしていれば奴もどこかへ去るはず。




私はじっとしているのが得意だ。


職場でも、いつもじっとして昼が来るのを待っている。


それで?と思うな。私は営業時代からそうして昼がくるのをじっと待っていたのだ。


営業としては珍しいタイプだ。


私がじっとしていることに、どれだけ長けているか、よくわかるエピソードだ。




「達太。達太。食え。麻婆を食え。」


私は振り返る。


そこには私の似顔絵のみ。


仕方がない。麻婆を食うか。私は観念する。出前をとる。しかし、その間にも似顔絵が呪って急かして語りかけてくる。


麻婆いつ食うの?と言わんばかりに。


しぶしぶ台所に立ち、麻婆丼を作る。出前を待ちながら。



私だって、すべて気のせいだと解っている。


似顔絵が達太達太と語りかけてこない事くらい、解っている。


麻婆が食べたい自分自身が生んだ幻聴だ。


似顔絵を背後に飾ることを、強くお勧めする。


神秘的かつホラーな体験ができる。


のみならず。食べたいものを変な時間に食べる理由ができる。大義名分というやつだ。


しかも。自分が自分を呼ぶという、恐ろしくも美しい体験ができる。




芸術の秋でもなく、食欲の秋でもなく、恐ろしい秋だ。




そして気付いてくれただろうか。


本日のエッセイは、女として発表した。一人称が「俺」ではなく「私」だ。


本日の俺は女なのだ。




今一度、冒頭から読み直してはいかがだろうか。


女の俺がそこには居る。惚れるな、困る、面倒だ。




女ごころと秋の空。移ろいやすいのだ。俺も男を移ろい女となった。




全ての男に投げキッス、じゅて~む。






じゅて~む

【あらすじ】 N県新潟市やN県長野市でコント活動をする集団の、コント台本を担当している江尻晴子が、 架空の男性・達太としてエッセイ連載にチャレンジ。 そして、達太の外見は、39歳にして徳川家康公にそっくりであった・・・。

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